文在寅氏は「北朝鮮寄り」なのか?

本書に書かれた文在寅氏の人生はドラマチックで、韓国現代史と共にあると言っても過言ではない。

文氏は朝鮮戦争さなかの1953年1月、釜山(プサン)市の南・巨済島で生まれた。父は遡ること3年前の1950年12月、歴史に残る「興南(フンナム)撤収作戦」の際に、米国の貨物船「メロディス・ビクトリー号」に乗り北朝鮮を脱出、同月に巨済島の難民キャンプに到着し、韓国での生活を始める。生涯、故郷の地を踏むことは無かった。まさに映画「国際市場で逢いましょう(14年)」のようだが、文氏は実際、釜山市の中高へと進み国際市場で青春を過ごす。

文氏はその後、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権下で民主化を求める学生運動を主導し逮捕され、大学も退学となる。その後、徴兵制度のため入隊し、特殊部隊である「陸軍特殊戦司令部(特戦司)」に配属される。当時の旅団長は後に軍事クーデターで政権を握る全斗煥(チョン・ドゥファン)。軍にいた1976年には板門店で北朝鮮と韓国および国連軍の軍事衝突「ポプラ事件」も起こり、文氏の部隊が解決のために投入されるエピソードなども明かされる。

国際市場で逢いましょう
映画「国際市場で逢いましょう」は韓国の現代史を全部詰め込んだ内容で話題を呼び、人口5000万人の韓国で1400万人が観る大ヒットとなった。

もっとも、こうした内容は韓国では新しくない。2012年の立候補時にも触れられた内容だ。ただ、あえて繰り返すのは、支持率で独走する文氏にしつこく付きまとう「従北(北朝鮮寄り)」という批判をじゅうぶんに意識してものと読める。

文氏は父が共産主義を逃れてきた避難民であることや、自身の徴兵経験をもとに「従北であるはずがない。思想問題でいちゃもんをつけるな」とし、「悪意をもってレッテルを張ることで国民同士を敵と味方に分けて争わせてきたのが、これまでの保守政権のやり方」と、李明博・朴槿恵両政権下で国民が分断されたと逆にやり返す。

文在寅氏の語る「真の保守」と「ニセの保守」

本書ではさらに、文在寅氏の「保守的な」部分にも多く触れている。この点は筆者にとって新鮮だった。文氏は保守の価値を「家族、国家と民族、共同体をより大事にし、そのために犠牲になり献身するもの」と定義する。著者のやや感傷的な部分にほだされた感もあるが、日本の植民地時代に「満州」で明日も知れぬ独立運動に人生を捧げた先達への想いや、韓国の民主化のため献身した民主運動家を例に、「真の保守」について熱く語る。

特に、1996年に起きた「ペスカマ号事件」の弁護にまつわるエピソードは一読の価値がある。遠洋漁船で働き始めた中国朝鮮族の船員たちが、雇用主の韓国人船員の暴力に耐えかね暴発した事件を「人権という立場」から捉えなおし、死刑から無期懲役への減刑を実現したくだりは、法律家としての正義感と民族意識とが同居するスケールの大きい民族主義者として、読者に文氏を再認識させることだろう。

光化門広場セウォル号
ソウルの中心・光化門広場に設けられている「セウォル号惨事 犠牲者および未収拾者 光化門焚香所」。2014年4月16日に起き、死者295名、行方不明者9名を出した。この痛ましい事故の真相究明への想いは、事故当日の朴大統領「疑惑の7時間」と相まって「ろうそくデモ」に参加する市民の強い動機となっている。

文氏はさらに、先述した保守の定義に照らし、朴槿恵政権の「セウォル号事件」への対応も全く合点がいかないとする。家族や子供を守れなかったばかりか、真相究明を求める遺族が決死の断食を続ける中でも、あるいは大統領府・青瓦台の前で数十日にわたりテントを張りろう城しても、一人として話を聞きにこなかった現政権の面々を痛烈に批判している。

自身が盧武鉉大統領当時、青瓦台で勤務する際には、毎日青瓦台前でデモやろう城している人に声をかけていたという過去と比べながら、韓国の保守がいかに名ばかりの保守なのかを、これでもかと訴える。




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